味気のない、思い出のない世界になったものだ。
人々から嗅覚が消えてから3ヶ月がたった。
最初の頃こそ戸惑ってはいたものの世界が全部なってしまえばどうってことはない。
“自分だけじゃない”ということはある種正しくないことであろうと、悪であろうと、人を安心させることができるのだから。
人間の目標は知らないことがないこと。そこに尽きると自分は考える。新しいものに抵抗があるのはなぜか。知らないからだ。そこに不安があるから。
古代の哲学者はよく言ったものだ。「知らないことを私は知っている。」この言葉だけで人は幸せになれる。新しいことに踏み出せる勇気を与えられる。
今の世の中を僕は昔から知っている。物心ついた時から世界は同じ状況だったんだ。そうだろう。自分が今レモンを切るために持つ包丁だって、使い方次第ですぐに僕を殺してくれる。外に出て、ふと車道に出れば自動車が僕をはねてくれるかもしれない。
ただ、僕たちは”死ぬ事”を知っているからそれらをコントロールし、安心できる。それだけだ。嗅覚が消えた。このことをみんなが知ってしまえば世界は在り方が変わるだけなんだ。
次いつ来るかわからないウィルスにビクビクと怯えながら生きる世界になっただけだ。
ほぼ味覚の無くなった時代ではもはや飲食店の存在は要らなくなると世間が嘆いている中、自分たちのお店では新しい試みで食事を提供していった。
普段の食事は変化し、小麦粉と栄養剤を摂取するだけでよくなった。思い出が作れないならばもはや食事になんの価値があろうか、そんな思いを覆してやりたかった。
まだ感覚はたくさんあるだろう
見えるだろう
聞こえるだろう
触れるだろう
もっと楽しませたい。素直にそう思った時に炭酸飲料と柑橘は最適だった。
「まだやれる。」
その時から風向きは変わった。
見た目を艶やかな盛り付けにし、今まででは考えも寄らなかったスタイルの食事とドリンクが程キュできるようになった。
嗅覚がないなら、もっと他を楽しもう。
まだ僕たちには残されている。
そんな中今までと何も変わらず提供していたものがあった。
“スパークリングサワー”
弾ける氷と柑橘は刺激を体に与えた。
お酒にレモン、ソーダ、そして炭酸を閉じ込めた氷刺激なら十分だ。
もう思い出せる味はないが、今を感じれる。もう戻ることのない時代を嘆く時間はもうないのだろう。
今ある幸せを感じよう。
そんな考えを張り巡らせていた時
ニュースが入った。
聴覚が消える。消える前には如何しようも無い怒りに支配され、プツンと音が消えるそうだ。
よくもまぁウィルスも考えつくものだ。
なんとも憎たらしい、なぜこんなことが起きるのだろう、、思い出も消え、次は怒りも消してしまおうとでもいうのか??せめて人間であろうとする心すらも失うのだな。
カウンターでグラスを叩き割った。
もうその割れる音は聞こえない。
世界から音が消えた。
もうあの音楽は聞けない、愛する人の声も聞けない。うるさくも煩わしかった自動車の騒音も。
シェイカーの中に当たるあの氷の音も
聞こえない。
それでもいいのではないだろうか。
まだ僕らには残されたものがある。
自分の口の中で感じた炭酸と柑橘は
新しい”味わい”を与えてくれた。
-SPARKLING SOUR-